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啐啄同時 書き下ろし
兵庫県・常楽寺住職 小川 太喜 
 「啐啄同時」という禅語があります。啐啄同時とは、鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」と言います。そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子。親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。
 平成21年は、妙心寺ご開山さま(関山慧玄・無相大師)の650年の遠忌大法会が厳修されます。そのご開山さまの逸話を一つ紹介します。
 ある雨の日のこと、開山さまの部屋から、「なんぞ持ってこい」と呼ぶ声がしました。「また雨漏りだ、早く何か持っていけ」と僧たちが騒いでいると、一人の僧がざるを持って飛んで行きました。すると、「これだ、これだ、よく持ってきた」と上機嫌でほめているところへ、もう一人の僧が桶を探して持ってきました。すると、「バカ者!そんなものが役に立つか!」と烈火のごとく叱りとばされたのです。
 普通ならば桶ですが、そこは禅の修行です。雨漏りだから桶だと考えて行動する分別があったから駄目なんです。師匠からもってこいと言われたら、ざるでも桶でも何でもいいのです。「オーイ」と呼ばれたら「ハイ」と返事する。そこには一分の隙もない無心のおしえです。これこそ師匠と弟子との啐啄同時です。
 先日、病院へ行ったところ、玄関前に大きな噴水があり、丁度「ザー」と水が噴き出しました。そばにいた男の子が大きな声で、「おかあさん、おかあさん。見て見て、すごいね。とってもきれいだよ」と指 を指して言いますが、母親はメールをして見向きもしません。それどころか、メールが終われば子供の手を引っ張って帰っていくではないですか。
 評論家の芹沢俊介さんは「授乳中も携帯電話のメールに熱中するような“空洞化”した母親が増えた。『死ぬ』『殺す』と叫ぶ幼児が目立つのも、こうした『いるのに、いない』親の影響が大きいのでは」と世相を指摘しています。私も同感です。
 メールは決して悪いものではありません。時と場合が大切です。自動車を運転しながらメールをしている人を見かけました。運転する時は運転三昧。子どもが一生懸命、話をしているなら、共に感動を共有したらいいのではないでしょうか。
 「坊や、噴水がとってもきれいだね」と言えば、男の子の笑った顔が浮かびます。これが親と子の啐啄同時なんです。そこには空洞感はありません。とってもすばらしい母と子の姿だけです。
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