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「いのち」をキャッチするアンテナ 書き下ろし
愛知県・瑞雲寺副住職 青井直信 
 ある朝、いつものように犬を連れて散歩に出た時の事です。山の向こうからお日様が顔を出し始め白い光が草むらに差してきました。
 その草むらをよく見てみると、無数にある草の葉や茎や花の一つ一つに朝の露が降りて光り輝いています。もっと目を凝らしてその露の一粒一粒を見てみると、そこには光り輝く緑や山や草や空がひっくり返って見えます。無数にあるその露すべてにそれが映っているのです。光の粒の中に私もありみんなもあり世界もあり宇宙もあり、こんなに小さな光の粒にありとあらゆるすべてが入ってしまうなんて不思議です。バッタの頭にも光の世界。カマキリの羽の上にも光の世界。楽しいですね。何だか勿体ないような気持ちになりますね。
 北原白秋という詩人がいます。

勿体なや、何を見てもよ、日のしづく、日の光、日の涙

という歌をつくられました。
きっと、朝のこんな景色を見た時に、歌が生まれたのかも知れません。人間はどうして、自然に感動するのでしょうね。
 私がまだ子供だったころ、ある和尚さんがこんなお話をして下さいました。「君の命も、雨の一粒も、春になると木が新しく柔らかい芽を出すことも、空が夕焼けで真っ赤に染まることもみんな一つの『いのち』の現れなんだよ」。
 私はこのお話を聞いたとき、そうかぁ、葉っぱの一枚一枚も空の無数の星も道端の雑草も私も、「いのち」というもので繋がっているんだなぁと思い、とても嬉しくなりました。私たちはありとあらゆるものと別々に生きているのではなくて、繋がって生きている。お互いに生かし生かされているからこそ、自然に感動し自然と一つになれるのでしょうね。
 そんな感動をキャッチするアンテナを感受性と言います。お釈迦様も大変感受性に優れた子供だったようです。
 農作業を見学していた時のことです。掘り起こされた土の中から一匹のミミズが出てきました。そのミミズをあっという間に鳥が来て食べてしまいました。畑では当たり前の光景です。しかしお釈迦様はミミズと一つになってしまい「なんて命とははかないものなのだろう、いったい生き物は何のためにこの世に生まれて来るのだろう」と思い悩んでしまわれたそうです。
 青空を見て、心まで真っ青に清々しくなること。夕焼けを見て心が真っ赤になって、じーんとなること。家族や友達の笑顔を見て嬉しくなったり、泣き顔を見て悲しくなったりしてしまうこと。心で感じることを大切に大切にして下さい。それはきっと、あなたの一生の宝物になりますから。

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